自己解釈で深く掘り下げたいだけ

好きなもの、ハマっているものについて深く掘り下げていきます

「おそ松さん」扶養保留組について語りたいだけ

 
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今回はファンの皆さんから生まれた二次創作ネタの中で、私が最も大好きなものについて語りたいと思います。
 

扶養保留組

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扶養保留組とは

おそ松さん第4話「自立しよう」において、母親による扶養面接で保留となった、

次男 カラ松、三男 チョロ松、五男 十四松
の3名を指す、
ファンによって作られた用語です。
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(※Googleの画像検索より使用しました)
 
アニメを見た時には、カラと十四と暮らすのは意思疎通困難になりそうだし、2人とも生活力無さそうという印象を受けました。
なので、一般常識を持つ(六つ子の中では)まともなチョロが「俺この2人と暮らすの絶対無理〜!」と焦ったのも無理ないな、と(笑)
 
ですが、pixivにて、
「自立しなければいけなくなった扶養保留組が、3人でアパートを借りて力を合わせて暮らしていく」
…という素敵な二次創作を知り、私がかつて抱いた不安を蹴散らし、
案外いけそうじゃないか?いや、むしろ良い、てか可愛い、とにかく最高の組み合わせじゃないの〜!?
と180度意見を変えるに至ったのでした。
 

カラ、チョロ、十四

この3人、とにかく性格的にバランスが良さそうなんです。
 
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カラ松は厨二病はイタイですが基本的に優しい男。気遣いもあるし、素直で物言いも物腰も穏やか。暴力的なことをしないぐう聖。
(パチンコ遅れそうなのに十四松に穏やかに「早くしろ〜」と言う程度。また、約束守れない十四松に忍耐強く注意する。おでんに納得いかないチビ太を心配してそっと見守る。)
他人のことを何でも受け入れ、許してくれそうです。かまってちゃんではなく、彼自身、自分の時間を大切にしていそうだし、他人のそういう気持ちも尊重してくれるはず。一緒に暮らして口うるさく言われないのって、けっこう大事です。彼は家をリラックスできる空間にしてくれることでしょう。
働かなそうではありますが、自分のできること=家事を、愛する兄弟のために一生懸命やってくれそうなところもポイント高いです。
 
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チョロ松は皆んなの総監督。口うるさい所もありますが、彼なら面倒見も良いので、考えなしで、生活やお財布がフワッとしそうなカラ松と十四松のまとめ役になれそうです。
すぐに手を出す癖も、力自慢の兄と類い稀なる身体能力を持つ弟の前では為すすべもないためそれ以上の喧嘩にはならないでしょう。
そして自立する上で最も重要な、お金を稼ぐこと。これは前々から就職したい意識は持っているチョロ松にお任せです。いざとなったらきっと、何でもいいから仕事を決めてきて頑張ってくれるんじゃないでしょうか。
一人前になりたいという願望もあるので、前向きに積極的に自立生活に立ち向かってもくれそうです。
 
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十四松は家事も就職もイマイチな気はしますが、その天使のような純粋おバカな性格で家を明るくしてくれることでしょう。家庭の雰囲気って毎日そこで暮らすのですから重要です。
野球ばっかりやってるかもしれませんが、家事は自分にできる範囲で素直に頑張ってくれそうです。
色々自由にやらかしそうではあるけれど、十四松なら許せそうだし。
兄弟想いというのもポイント高いです。
(「エスパーニャンコ」での一松への対応。「ダヨーン族」で消えた兄弟を探そうとし、トッティの悪魔の囁きにも乗らなかった。)
それにもしかしたら、「恋する十四松」の時に見せたまともな姿、自分たちだけで自立しなければならなくなった時には、またあの姿になるかもしれないですし。
 
 
それぞれで考えてみるとこんな感じと思いますが、
次に3人の相性から考えてみます。
 
兄弟の中で最も自立しなければとの想いが強いチョロ松が先頭に立ってリーダーとして舵を取り、
補助タイプで兄弟想いのカラ松と十四松が一生懸命協力するでしょう。
ですが理想の高いチョロが、しっかりしてるが故にちゃんとしなきゃと意気込み疲れ果てた時には、ゆったりどーんと構えて心を楽にしてくれそうな兄と弟。
また、色々こだわりが強そうなチョロを、2人がでかい懐で包み込み受け入れてくれる気がします。
また、優しいけど感覚だけで生きてて生活力なさそうなカラと十四を、現実的でシビアなチョロが守ってあげるでしょう。
 
 
…なんて優しい世界が広がっているのでしょうか、、、
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(※Googleの画像検索より使用しました)
 
常識的で口うるさいリーダーやりたいタイプのチョロにとって、協調性の高い穏便で平和的なカラ、物事深く考えない明るくおバカな十四松は、自分の目指す世界を受け入れてくれ、癒しをくれるメンバーではないでしょうか。
そしてカラと十四松にとっても、引っ張ってくれる稼ぎ頭のチョロは頼もしいと思われます。
 
とゆうことで、私にとって扶養保留組は、
数ある六つ子グループの中でも最高の組み合わせになっているのでした。
 
最後に
pixivより、扶養保留組の素敵な作品をご紹介して終わります。
 

pixivより保留組漫画おすすめ

「4話から妄想 三男と次男と五男」
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「保留組ログ①」
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「結局集まる六つ子」
※画像なし
 
「イェーイ保留組イェーイ」
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おそ松さん まとめ⑦」
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「保留組漫画」
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公式アニメだと、こんなほのぼの平和ではなく、もっと恐ろしい生活っぷりに描かれそうですが(特に十四松が)、私はこういう感じが好きです。
保留組マンガ、癒されますね〜( ´▽`)
 
 

『火の鳥 宇宙編』赤ちゃんと女性=母性

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子どもの頃読んで、強く心を打たれた名作『火の鳥』。

怖い、という感情が強かったですね。
あと、星特有の生物とかが気持ち悪い。
とにかく、また読みたいと思わせる反面、トラウマになった作品でもありました。
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時は経ち、現在アラサーの私が父に頼まれ、
昔発売されたDVD boxをAmazonで取り寄せました。
劇場公開された「鳳凰編」、その後OVA化された「宇宙編」「ヤマト編」が収録されています。
今のところは「鳳凰編」と「宇宙編」を観ました。
 
今回は「宇宙編」について軽く感想を綴りたいと思います。
 

ストーリー(ネタバレあり)

惑星ザルツから資源を大量に積んだ飛行船が地球へ帰還中に事故にあい大破、冷凍冬眠から目覚める4人の船員。
その時に1人で当直していた牧村が「ボクハコロサレル」とメッセージを残しミイラ化して死んでいるのを発見した4人は、それぞれ1人乗り用の緊急脱出ポッドに乗り込み、宇宙へと避難します。
しかしこのポッドは、ただ宇宙空間に漂い、救助されるのをひたすら待つしかないもの。しかも軌道が逸れると1人だけはぐれていき、どうしようもない。また、食糧と酸素が尽きたらそれでジ・エンドという恐怖。人1人が寝れるスペースしかなく、寝そべることしかできないというのもまた恐怖…
4人のポッドの後ろについてくるもう一隻のポッド。実はこれ、死んだはずの牧村が乗っており、彼は「宇宙の生命をないがしろにした」罪のために、流刑星へ送られる途中なんです。
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彼の犯した罪は、ある惑星の住人を自分勝手な理由で皆殺しにしたこと。そこにいた火の鳥がブチ切れて、牧村を、ある程度成長すると赤ん坊に向かって若返りし、若返りが終了するとまた歳をとっていく…ということを繰り返して絶対に死ねない身体にします。
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なので今の牧村は実は赤ちゃんまで戻っており、自分を模したロボットスーツに入り操って生活していたのでした。
 
紅一点のナナを巡り、嫉妬心からかつて牧村を殺そうとした木崎のポッドは宇宙空間へとはぐれ、流刑星への着陸時にポッドの故障で燃え尽きた隊長は死亡。
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生き残ったナナと、物語の全編に渡り輪廻転生を繰り返しての主人公・鼻でかの猿田は、流刑星でそれぞれ火の鳥と出会い、牧村の犯した罪を知り、巻き込まれただけということで地球に返してもらえることに。
 
だけどナナは牧村を深く愛していたため、赤ん坊になった牧村のお世話をしたい、見守りたい、と流刑星に留まることを望む。
実は猿田もひっそりナナに惚れていたため、この機に告白、プロポーズ!牧村は絶対に死なないし、勝手に成長し、また若返る、だがナナはこの寂しい星で年老いていくだけだから共に地球に帰ろう、と説得しますがあっさり断られます。(ナナ、モテすぎ!)
牧村への憎悪から、猿田はナナがいないのを見計らって赤ちゃん牧村を槍で刺し、断崖から海へ投げ捨てます。
しかしそれを火の鳥が見過ごすわけもなく、罰として、猿田の元々でかい鼻はボコボコに醜くなり、子々孫々まで未来永劫その鼻になると言われちゃいます。子孫関係ないのにかわいそう。てか、子ども作らなきゃいい話!?そもそもそんな醜い容貌で女の子捕まえられるかな?
 
そして愛しのナナは、牧村とこの星に残るために自ら望んで気持ち悪い植物に、既にメタモルフォーゼ(変身)していました。
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この星では、その環境の過酷さから、送られてきた囚人たちはこの植物になることを望み、そしてメタモルフォーゼします。そうでないと生きれないからです。
猿田は火の鳥から呪いともいうべき罰を受け、宇宙空間へ飛ばされ、おそらく地球に帰還したと思われます。(原作は忘れたので)
 
…というストーリーなのですが、いや〜、壮大すぎてあまり簡潔には説明できませんでした(汗)
 

ナナの母性

私がこの宇宙編で感じたことは様々あるのですが、
特に、ナナが牧村のために醜い植物にメタモルフォーゼし、牧村と共に流刑星で過ごすことを選んだことに心を奪われました。
ナナの選択には「赤ちゃんと母性」が関係していると思います。
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牧村のことを愛していたからといえば納得はしやすいですが、
私は、牧村のその時の姿が赤ん坊だったことも大いに関係があると思いました。
 
ナナは外見は元より、中身も素敵な女性です。
母性本能にも溢れていることでしょう。
そんな彼女が、どうしてこんな寂しい星に赤ちゃんを1人で置いて去ることができるでしょうか。
私だったら無理です。考えただけで胸がギューッて押し潰されそうになりました。
というのも、このOVAを観ている時、横には生まれて4ヶ月の娘が寝転がって遊んでいたからです。
まともな女の人なら、赤ちゃんが目の前にいるのに放ってはおけないでしょう。
守ってあげたい、抱きしめてあげたい、お世話してあげたい、になるはず。
それが、彼女がメタモルフォーゼを選ぶことを後押ししたと思います。誰が何と言おうと、赤ちゃんがすぐ側にいる私はそう思います。
 
そりゃ、牧村は放っといても死なないし、おっぱい飲まなくても勝手に成長していくだろうし、何より星の住民を大虐殺した罪深い男なわけですけどね?
 
愛した男がか弱く可愛いらしい赤ちゃんになっちゃったら、、、ねぇ??
ダブルパンチだよねぇ??
置いて地球に帰れないよねぇ!!?
 
観終わって父親
「何でこの女の人がメタモルフォーゼする運命だったんだろうね」
と言いました。
私は
「ナナが良い人だったからじゃない?」
と答えました。
 
良い人であり強い人じゃなきゃ、自己犠牲の道なんて選ばないんじゃないかな?
良い人だからこそ辛い運命に会う。
矛盾だよね。
 
「神様は乗り越えられる試練しか与えない」そうです。
ナナにはきっと、この試練を乗り越えられる資質があったのでしょう。
そのように考えてみると、ナナのこの結末にもほんの少しだけ、救われる気がします。
 
でも、、、
 
自分だったら、愛する人のためにメタモルフォーゼしてずっと見守れはしても、その人を抱きしめることも話すこともできないなんて悲しい選択、できるのかなぁ…。
一切の迷いも無かったナナは格好いいです。
でもその格好よさ故にあんなことに…ブツブツ…
…と、ループになるほど深い話でした。
そう簡単に答えを出せないそのテーマがまさに、本物の人生そのままだなと、感じました。
 
原作は、牧村を殺したのは誰かという会話劇でミステリーとしても存分に怖さを楽しめます。
 
怖い!けれど、人間とは、死とは、そして生きるとは何かを考えさせてくれる未完の名作『火の鳥』。
私が小学校低学年の時に読んで、大人になってからもずっと心に残り続けていました。
道徳の教科書に載せてもいいぐらいですよコレは!
現在手塚治虫文庫全集として講談社から出版されているようですので、色んな人に読んで欲しいですね。

 

 

映画『A.I』...最も残酷な愛の呪縛

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一言じゃとても言い尽くせない。
 
当時中学2年か3年だった私。
スティーブン・スピルバーグ監督の泣ける映画として話題でした。
一緒に映画観に行った友達は号泣。でも私は、あんまり感動もしなかったし、泣けもしなかったんですよね。
 
それから13年ほど経って、SF好きの旦那が観たいと言ったのでレンタル屋へ。
 
もう大号泣、、、!!
 
出るわ出るわ涙と鼻水!!
次の日は目がまともに開かないほど腫れてしまいました。
 
ですが私、「感動」して泣いたわけではありません。
 
そのテーマの残酷さに胸が痛いほど締め付けられて、「哀しくて」泣いたのです。
 
「愛」に囚われた悲しいロボットのお話に、人間の身勝手さを強く感じました。
 
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愛をインプットされた為に、哀しい運命を生きるデイビッド。
 
「愛をインプットした人間は、途中で投げ出すことはできない」という条件がありましたが、これって人間同士の親子でも同じですよね。
 
悲しいことに、人間の親子でも捨てたり、虐待してしまったりはありますが、ただデイビットの場合、決定的に人間と違う点があります。
 
デイビッドは、愛をインプットした人間を愛し、そしてその人から愛される、という以外の生き方をできないのです。
彼は、永遠に母の愛を求め続けるだけの存在。
 
…これって、もんのすごく辛い、ですよね?
 
母の愛を得ることでしか救われない。
他の人間と出会い、新たな愛情を育んで自己を肯定していくことができないのです。
 
母がデイビットを森に捨てる場面が1番辛かった。(廃棄処分から逃がすためではあるけど)
 
まぁ母親も、まさか植物状態?になった息子が奇跡的に目覚めるなんて夢にも思ってなかっただろうから同情はするけど、、、
それにせっかく目覚めた最愛の息子がロボットのせいで死にそうになっちゃったら、あの決断もしょうがないかなとは思います。
 
ただ、母親的には、もう1人の息子を捨てるというよりはペットを捨てる感覚に近かったんじゃないでしょうか。
途中で投げ出すことはできないという禁止事項、そんなに簡単に破ってはいけない!デイビットが可哀相すぎる!ともうここは単純に悲しくて号泣!!
 
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観終わって一つの疑問が湧きました。
 
何でこんなにも苦しいのか?
 
それは、デイビットが母に本当には愛してもらえなかったからです。
 
それなのに、気が遠くなるくらいの時間を「母に愛されたい」、ただそれだけの動機で旅をし、願い続けていました。
 
デイビットは
愛を与え、そして求めるロボット。
 
与えるだけではダメだったのでしょうか?
 
人間がそうしたロボットを作り、使用するのは、自分を愛して欲しいからです。
ということは、必ずしも、人間もロボットを愛する必要はなかったのでは??
なぜデイビットも愛されないとダメっていう仕様にしたんだよぉ!バカバカバカ!!
…とロボット作った博士を殴り倒したい気分です。
 
与えるだけの存在であったなら、自分も母の愛情を求めはしなくて、そしたら捨てられてもそんなには気にしなかったはず。
可哀想に、愛して、愛されたい存在として造られてしまったが為にデイビットは彷徨い続けることに。
 
 
「愛」とは、与えるだけでは成立しないものなのではないでしょうか?
(親から子への注がれる無償の愛や、マザーテレサのような奉仕の愛は除きます。)
 
愛し、愛されることでそれは本当の愛情となる。
愛情とは一方が与えているだけでは育たないもの。互いに思い遣りを持ち、相手を大切にしたいと思って育んでいかなければ育たないものなんじゃないかしら??
 
自分が愛した分、その人からも愛されたいのが人間というもの。
デイビットが「愛するだけ」のロボットであるなら、それは他のロボットと何ら大差ないのです。
だからデイビットは姿形だけではなく、心も人間に似せて「愛し、愛されたい」と思うように造られた。
(ただしそこはやはりプログラムですから、猪突猛進な愛情ですね。そこが怖くて引いちゃう要員でもあります。)
 
問題は、両者が相互に愛し合う形にならなければ、その関係は成立させられないということ。
 
デイビットだけが無償の愛を注ぎ続けるのだとしたら、ただの奴隷ロボット、愛玩ロボットですよね。
 
最愛の息子を亡くした博士が心の隙間を埋めるために造ったのですから、持ち主の寂しさを埋めるには、マザーテレサのような万人への愛ではなく、人間と同じような特別な者の間に生まれる、二人だけの愛のシステムが必要なのでしょう。
 
デイビットに
愛されることで充足感を得、
愛を求められることで自分の存在意義を見出せる。
 
さらに言うなら、愛を求めることでロボットはその人間味を増し、このロボットはロボットであり、自分はプログラミングされた愛情を得ているという事実を薄めるのではないでしょうか。
限りなく人間に近い者に相互に愛し愛されることで、喪失感を抱く人間の心は埋められるということか。
 
愛されたいと願うデイビットは果たしてロボットといえるのか?
愛をインプットした相手しか見えない猪突猛進な愛情はまさにロボット故にだけれど、
生物しか持たない最も尊い感情、愛を持つデイビットは、私には人間に思えました。
 
リセットボタンを作らなかったのは、デイビット作者の本物の子どもを生み出したいという想いからなのでしょうが、もしもの時のためにリセットボタンは必要じゃないのかなぁ。
リセットできないのを承知で愛してもらうという強い覚悟だけでなく、破った場合のペナルティを用意すべきでしたね。笑うせえるすまんみたいな、ゾッとするようなペナルティがね。
人間って、本当に弱い生き物だから。
 
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ところで、
デイビットと行動を共にするロボット・ジョーが捕まって連行される時の最後のセリフがとても好きです。
「僕は生きた!」
ロボットとして与えられた男娼の役割ではなく、デイビットを助けるために自分の頭で考え、行動した。
それはまさに「生きる」こと。
彼はきっとスクラップにされ、人間的に言えば死んでしまうのだろうけど、恐れはあってもきっと晴やかな気持ちではあるのではないでしょうか。
 
 
そのジョーと比べてしまうと、果たしてデイビットは「生きた」と言えるのか疑問です。
(人間であるとはいえるけれど)
 
デイビットは自分の役割りから抜け出ていないんですね。
愛し、愛されるという役割から。
デイビットの目的は終始一貫しており、どんな目に逢おうとも決してブレません。
そして気が遠くなるほどの時が経ち、地球が凍りついた遥か未来、宇宙人によって母との再会を果たします。
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何万年も祈り続けてたった1日の母親との時間。
邪魔する人もいなく、心を痛める相手もいない二人は、とても穏やかに、幸せにその1日を過ごします。
そして夜、2人は一緒のベッドで眠りにつき、デイビットもそのまま、二度と目覚めませんでした。
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正直、感動よりも、残酷さに胸がずっと締め付けられて、ボロ泣き。
 
実は母親に同情しました。
髪の毛の遺伝子から復活する前は、普通に幸せな人生を過ごして普通に亡くなったのだと思います。きっと彼女はデイビットを棄てたことを死ぬまで後悔していたんじゃないかしら。なんだかんだ、息子が目覚めるまではデイビットを愛し始めていましたから。
それが、自ら招いた過ちのせいとはいえロボットに蘇らせられ、彼女の記憶の最後に残ったのは夫でも息子でも孫でもなく、ロボット・デイビットなのです。
彼女の立場を思えば、なんともいえない気持ちになりました。
いや、母親は全然嫌がってないし、誰に気兼ねすることもなくデイビットに愛情を持って接し、穏やかな時間を過ごしているので問題ないんですが。
でも、私だったらなんかちょっと、微妙だなと思いますもん。
 
そしてデイビットのあの幸せそうな顔。
なんて切ないの。
やっと夢に見ていた時間を過ごせたのに与えられた時間はたったの1日。
それでも眠りにつくとき、彼は最高に幸福だったと思います。
母の温もりに心から安心している本物の子どもでしたね。
もっと母との時間を過ごさせてあげたい!こんなに一途に待ったのにあんまりだよー!
…と、悲しくて悲しくて…
 
母側視点とデイビット視点からの相反する感情に引き裂かれて、それでグチャグチャ号泣したのだと思います。
(母も幸せな気持ちではあったとは思いますが、観る側からするとなんだか違和感)
 
愛を求めるのも、求められるのも辛いですね。
 
この世で最も悲しい未練は愛だと、昔ある漫画で読んだことがあります。
 
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デイビットという存在は諸刃の剣であり、愛の呪縛の象徴のような存在ではないだろうか、と感じました。
 
だからこその大号泣、、、
 
哀しすぎてもう二度と観ることはないかも。
 
人工知能が発展した世界で描かれるロボットと人間の確執は、いつか必ずやってくる未来だと思います。
 
化学者たちの、作る技術があるなら作ってみたい、という欲望は現実世界でも疑問に思うことが多々ありますが、
デイビットが私たちの世界に生まれた時、こんな悲しいことにならないといいな、と、そう願います。
 
余談ですが、『A.I.』は元々キューブリックが撮る予定だったのを、亡くなってしまったのでスピルバーグが引き継いだそうです。
スピルバーグなので感動系になりましたが、キューブリック監督だったなら、もっとエグい、ゾクッとするような感じになっていたかもしれませんね。それも観てみたいなぁ。
 

おそ松さん二次創作『こうして僕らはバカでいる。』感想

突然ですがまずはこちらをご一読ください。

pixivのタイプβさんという方のおそ松さん漫画です。

『こうして僕らはバカでいる』
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http://touch.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=54496605


現在ハマっている「おそ松さん」
テレビから一週遅れのニコ動のアニメを見てはその都度pixivやtwitterを漁って日々の鋭気を養っております。

そこで今回見つけたこちらの作品。
pixivの作品って勝手に掲載しちゃダメなのかな?
ちょっとその辺のルール知らないのですが
読んでものっっっ凄く感動して、久々に泣くぐらい素晴らしい作品だったので
これはぜひ!もっと多くの人に読んでもらいたいな、と。

ネタバレ感想になるので、ダメな方はぜひ読んでから私の感想も一つの考察として読んでくだされば幸いです。
ガーッ!!とペンの進むままに感情が爆発するままに勢いで綴ったので、乱文、長文失礼します。

〜以下、ネタバレ含む感想〜 

死ネタ、六つ子の自立と聞いて、両親のどっちかが死んでとにかく自立に向かうんだろうなぁ泣き系だなぁと予想はついてたけど、予想を遥かに上回り、やはり泣いたしpixivで初コメしただけでは飽き足らず、こうして感想を書きます。

六つ子全員が自立するってのはよっぽどのことがないと無理だろうなと思うのですが、きっとそれは、両親の死が1番確実な理由になるだろうな、と。
読むまでは稼ぎ頭の父が亡くなって、母を助けるために就職していくのかと思ってた。
けど、母の方か!と。

物語はいつも通りクズニートの日常からスタートし、松代さんが肺癌で倒れ、余命僅かの間に六つ子たちがそれぞれ自分の道を切り拓いていくというストーリー。

母が倒れた時からいち早く頭を切り替えて皆に行動の指示を出せるおそ松兄さんは超優秀。自分も仕事でそういう場面に出くわすこと多かったけど、とりあえずパニクったからあの場面で冷静な指示を出せるのはできる証拠。
そして母の治療は死への準備期間であるといち早く察した四男と五男は次のステップへ向かう。もちろん母のために。

ここからは物語の順に沿ってそれぞれの変化を辿ります。

まずは一松。あの一松が最初にニートを捨てたことで、六つ子の物語が大きく変化したのだと思います。しかも普通の企業のしかも華形である企画部に採用され、働いた経験無いのに仕事できてマジパネェ!
アニメ見てると、兄弟の中で1番最後まで残りそうだし就職できたとして、もっと自分を卑下したり周りとのコミュニケーション上手く取れなくて、それこそ13話の実松さん化しそうだと思ってたけど、母が近いうちに死ぬという衝撃を受けて、そんな自分の弱いところを克服したのでしょうね。自分の殻に閉じこもってる場合じゃない、と。
一松が仕事デキるのは、くん時代は1番真面目だったことだし、とにもかくにもデキる性質が開花したというところでしょうか。
早くも企画リーダーに抜擢されたその才覚を社長令嬢に見初められ、逆玉の輿を狙おうとする一松に彼の持ち味であるゲス味を感じました(笑)
あの感じだと後々また一松が登場して、逆玉で手に入れた大金で松代さんに尽くしたり兄弟に何かしらしてあげるのかなぁと想像したけど一松のターンはここで終了。
物語本編の最期に一松の結婚式に向かう兄弟の姿が描かれることから、おそらくこの社長令嬢を見事落としたのでしょう。「晴れて結ばれた」と表現できないのは、一松退場シーンのあのゲス顔がどうも計画的な結婚のように感じられたせい(笑)

それにしたってありえない、アニメで見てる一松の性質からしてありえない、よくある夢見がちなスーパー六つ子設定か?萎えるわ〜と思ったが、十四松が医大を目指して勉強を始めるところで、「大人になったおそ松くん」を取り入れた設定なのだと気づいたので萎えなかったし、むしろこの自然な流れすげー!と思った。

次は、医者になって母を助けるべく猛勉強を始める十四松。デカパン博士からの融資もとりつけ、ガチのマジで医大へ向けて、直接的な描写はありませんが昼も夜も無く努力していたのでしょう。
他の兄弟と違うところは就職する、家事を頑張ることで家族を支えるという選択ではなく、「治す」という選択をしたこと。自分が医者になれれば癌になった母を助けられると本気で信じているところに、彼の純粋さが見えます。十四松らしい選択ですよね。
十四松については描写があまり無いし暗い部分もあまり描かれてないので、他の兄弟と比べて考察が短かいですがこれくらいで。

一松と十四松のアニメ設定からのスーパー昇格ぶりはまさに奇跡!
特に十四松が今から医者になるってーのは正直無理があるよ〜ん、と思ったが、手塚治虫が漫画家になってから医者の博士号取得してるからもしかしたら十四松ならできるのかも。と思わせる十四松って凄いね!
この2人は六つ子の中でも大成功したので、あまり触れないでも良さそうです。(私の中では)


カラ松はアニメ設定を活かして事務員に就職。でも彼は"できない六つ子"バージョンの使えない新人で目に塩水が。社会って厳しい。家にPCも無いのにエクセルは厳しいよ〜。
カラ松から厨二病を取っちゃえばただの優しい男。優しすぎる人って社会の中では悩むと思うんだ。
PCできない事務員って正直使えないし、ずっとオフィスの中にいるから息抜きもできないし、使えない=周りに好かれないと思うので、めちゃめちゃ辛かったと思うんだ、彼は。
就職が決まった時に「お前はお前らしくやればいーよ」と声がけしたおそ松兄さんマジ兄さん。既に無理してるカラ松を見抜いたんだろうなぁ。本当に同い年かお前?
母が病床について早一年、最後のお見舞いの場面では、最近は度々早退していることをチョロ松に心配されてる描写があり、ああ、カラ松はやはり馴染めなかったんだな…って泣けてきた。それを直接的な描写でもセリフでもなく、日常の一コマでそれを感じさせる表現はお見事!よく母さんが亡くなるまで約1年間も頑張ったね。エライぞカラ松!
ほんと、おそ松以外は社会不適合な描き方されると胸がキュッとなるわ。おそ松だけが周りの評価なんのその、だもんね。
(19話のチョロ松ライジング、参考になります。)
働かない我が人生セラヴィー言ってた彼、何気に1番社会不適合者だと思うが、父とチョロ松の会話を聞いちゃって、きっと、しっかりしなきゃ、自分は働かなきゃって思ったんだろう。おそ松は変わらないままでいい理由、カラ松は察したんじゃないだろうか。それで次男の俺がちゃんとしなきゃ、家族を支えなきゃって、奮闘したんだろうなぁ。
最終的には母の「お前が優しくいられないなら、そんな世界は捨ててしまいなさい」という言葉に背中を押され、自分を大事にできない場所から離れて本当に自分が自分らしくいられる場所へと一歩踏み出した。
彼が自分のために選び取ったのは舞台役者の道。下積みが長くなろうが芽が出ずに終わろうが、勇気を出した彼を祝福します。てか、自分を殺して社会に迎合するような生き方はカラ松の良さを殺しちゃうよね。マイノリティであっても、彼にはオンリーワンを目指して欲しいものです。


トド松は稼ぐでも家事するでもなく、女の子に誘われてなし崩し的にボランティア始めるってゆーのがなんとなく末っ子っぽい。 
母の現状を察してそれぞれ自分の役割を考え、果たすべく動き出した他の兄弟に比べて、何すりゃいいのか分からない、、と立ち止まっている。
兄たちに対する甘えもあるような気はするけど、トド松はリアリストだし自分の力量を把握してる感あるし、行動するよりまず考えちゃって、答えが出ないうちは単純に就職するって方へはいけないのかもね。

そんな彼は街頭募金で道行く人に褒められたことにより、ボランティアを続けていく。そこで知った、ガン患者のホスピス病棟でのボランティアをきっかけとして、将来的には被災地ボランティアなどにも参加していくことになる。きっとNPO的な団体に流れで就職したのだろう。完全オリジナルなトド松の未来、作者様が理由があってこう描いたと後書きにあります。
わたしなりに推察してみたのですが、母の最期の言葉にヒントがあるのかもしれない。
「ありのままのあなたを好きになってくれる人は必ずいる。だから他人の顔色を見て嘘をつくのはやめなさい」と、他の兄弟には良いところを伸ばす言葉を送っているのに、なんだかトド松だけ諭されちゃってます。しかしこれ、彼にとっては非常にありがた〜いお言葉。
トド松はアニメでもモテたいがために自分を慶應学生と偽り、そのことに何の罪悪感も抱かない強者。
松野家自体を社会の底辺、クズニートの巣窟と位置づけ、そこから這い上がろうと日々隠れて努力する姿も度々見受けられます。(自分磨きはもちろん良いこと!)
そんな彼が見つけた自己実現の形、それがホスピス被災地ボランティア。
こうゆう活動って、スタバァとかオシャレとかポップとかいう彼の憧れている世界からは遠いところにあるんだよね。
だって「現実」だから。
これって結構深くない?
母の最期の言葉で自分を実物以上に飾ることをやめたトド松。母の病気に向かい合いながら、ボランティア活動で人に感謝される喜びを知り、飾らない等身大の自分で人に尽くし、認められることの充実感を獲得していったのではないでしょうか。
見栄えをとても気にしていた彼の、等身大の選択に驚きながらも嬉しいわたしがいました。


そしてこの物語の語り部であるチョロ松
家事や就活にいそしみ母の欠けた家をなんとか保とうと奮闘しているのにあまり結果が出ない様が描かれ、松野家を襲った悲劇が一筋縄ではいかないことを読者に伝えるストリーテラーとして描かれる。
彼の姿は、母が末期ガンで倒れたというのにこれまでと何ら変わらないクズニートの体を保ちつつ、家族を縁の下から黙って支えているおそ松と対比され、チョロ松自身もそんなおそ松と自分を比べている。
誰よりも一生懸命やっている(ように見える。実際は全員が頑張っている)のにさっさと仕事を決めてきた一松やカラ松のようには就職できない不器用なチョロ松。かといって十四松のように自分だけの方法で母を助ける方向へシフトすることもできない。
自分ってなんてダメなんだろう。自分はこんなに変わろうと努力してるのに上手くいかない。それなのにこれまでのグータラな生活態度を全く変えようとしないおそ松に対して、あいつは変わらなくていいんだよと、父は言うけど、なぜかはよく分からない…。
面接に落とされ続けるチョロが可哀想で…一生懸命なのに、一生懸命な分カラ回りしてるのかしら…?
ここで母が倒れたばかりの時の父のセリフ。「焦って変なとこに就職なんかするな」的な言葉が活きてくる。
チョロちゃん、きっと今はご縁が無いんだよ。落とされた会社は君には合わないんだよ。無理矢理就職したってキツイだけなんだよ(カラ松みたいに)。だから大丈夫だよって、言ってあげたい。だって彼、言葉にできる分、最も目に見える形で家族を思い遣っている。
母が欠けた家で、口うるさい三男が皆を気にかける母のような存在になってた可能性。
就活と家事の二足のわらじはけっこうキツかったんじゃないのかな。まぁ、家は汚くなってたけど。せめて家事くらいやってよ!っておそ兄にキレるのは分かる。
私自身、チョロ松に1番近い、というか、このマンガの読者はチョロ松に自分を投影するのではないかしら。だから彼が語り部としては1番相応しいのだ。
こうありたいのに、自分も役に立ちたいのにそうはなれない自分に焦り、傷つき、悩む。
作者様はこの物語はチョロ松の成長物語であるともおっしゃっています。
おそ松の隠された想い、気遣いに気づいた彼は、母の死後、母の言葉どおりに自分を縛っていた呪縛を打ち砕きます。
それは、世間一般の枠に自分をはめ込まなければならないという、カチコチに固まった常識という概念。
正社員就職だけを見据えるのではなく、まずはバイトから社会に出ることを始め、物語のラストでは人道支援をしにアフリカへ旅立とうしている。おそらくNGO
トド松と同じく理想の自分にがんじがらめになっていたことから脱出でき、等身大の自分に向き合っている。
まだ自分探しの段階ともいえるけれど、他者からの承認欲求が強く、常識という重い足枷に苦しんでいた状態から一旦自由になった方が彼らしく生きれそうだという点で、このチョロ松の選択はストンと入ってきた。
そしてそのぐらい思い切ったでっかい事をやらないと、おそ松には敵わないと思っている。
だっておそ松は、アフリカに行って見も知らぬ人のために井戸を掘らずとも、この家で変わらないままで居続けることで家族を救うことを選んだんだから。


私、思うんですが、このおそ松の「変わらずの誓い」が最も至高で、最も残酷な選択ではないでしょうか。
変わることよりも変わらずに居続けることの方が難しいですよね。


そうして最後におそ松に繋がります。
彼は皆の心の拠り所となるために、自ら前進し成長するチャンスを捨てます。こんな健気なことってある??
そりゃあ、努力しんどいし社会に出るのもしんどいしチャレンジするのも自分探しするのもしんどいし面倒くさいよ。でも、自分の将来を思った時にいつまでもこのままでいて、何十年後も今と変わらない自分を想像するのは地獄だと思う。
まぁ、クズニート時代は将来へは意識を向けずに今しか見ないの術とか使ってるんじゃないかな、とは思うんだけど。
でも母親が倒れて兄弟全員が母のため、家族のため、そして自分のために変わろうと前に進み始めているこの物語の中では、自分だけは "あえて" 変わらないことを選んだ。それがどれだけの覚悟と孤独を伴うことか。 

「変わらない」んじゃなく、「変われない」。
皆のために変われない。外に闘いに出た兄弟が傷つき、疲れ果てて帰ってきた時に、ホッとできる居場所を作ってあげたい。それはまるで母親のような絶対的な安心感を生み出し、与え、そしてその場所はなくてはならない。
だって想像してみてよ?これまで社会でまともに揉まれた事のない六つ子たち、それに家事なんてやったことのない六つ子たち、母のいない生活なんて考えたこともなかった六つ子たち。帰宅して、全員疲れ果てて疲労だけが増長されていって、悲しみも常に醸造されていって、皆パンクしちゃうんじゃない?
本来は松代さんが担っていた、そして担うべき役割であった帰るべき場所を作ること、それをおそ松は担ったのだ。

チョロ松みたいな、表に立って一生懸命な姿を見せる役割を担う人は必要。
そしておそ松みたいに陰ながら皆に安心を与える役割を担う人も必要。
おそ松兄さんは、押し寄せる現実と緊張感から皆の心を守るように、心の拠り所になり、そしてガス抜きになろうとしたんだろう。物事が一気に全て変わってしまうことは寂しいから。そしてその寂しさは心を壊すから。。。
長男は意識的に、三男は無意識に、欠けた「母親」というピースを埋めていたのではないだろうか。
そして意識的だったおそ松はこの役割の重要性に気づき、父含め家族のセーフティネットになることを自ら選んだ。父も辛いこと、兄さんには分かるしそれを気遣ってあげられる位置に留まってくれたんだね。

一見、努力しなくていいから楽に見えるこのポジションの残酷な点は、自分の前進する可能性を放棄すること。そして辛くても笑ってないといけないこと。だって、皆を癒す人が泣いてちゃ気を遣わせるもの。
皆の精神の安定のために自分の不安とか全部ぜんぶ押し殺してきたおそ松。
だからこそ、母との最期の時間、ついに泣いて本音を叫ぶ兄さんの姿に涙腺崩壊。
そうだよね!お兄ちゃんだって寂しいし不安だし悲しいし、本当は泣きたかったんだよね!
弟たちを支えるためにはしっかりしてないといけなかったし、酷な判断もしなきゃいけなかったし、めちょめちょになっちゃった父親の心のサポートもしてあげなきゃだったし、自分までめちょめちょになったら父さんかわいそうだしね、お兄ちゃんが甘えられるのはお母さんだけだったのにね!でも1番辛いのはお母さんだって分かってるから1人で踏ん張ってたんだよね!辛かったね!(わたし大号泣)
この役割は気遣いに気づかれないことも重要だからとても孤独な闘いだったはず。
父を救い、家族がバラバラにならないように支えたおそ松。あんたはエライ!!



そしてある者は医者になり、ある者は結婚し、ある者は夢を追い、ある者は自分探しに出かけ、、、皆家を出たり、自分の居場所を見つけたり見つけ始めたり、とにかくベクトルが前を向いた。
そんな中、おそ松だけはあの時のまま。松野家の兄弟の部屋で1人タバコをふかしている。
彼が同じ姿で留まり続ける理由は、父が心配だし、皆が疲れ切った時にバカになれるように。
これって究極の自己犠牲じゃないか!?まさに長男の業とでも言うべきか。
弟たちはそれぞれの自己実現に向かい走り始めているのに、その弟たちのために自分を捨てた兄。そしておそ松自身がそれでいいと思ってるし、きっと自己実現のチャンスが無くなったとも我慢したとも思わずに受け入れてるんだろうなぁと思わせるところがまた切ないのよね。
諦めたわけではなく、その役割を自分のものとして受け入れる潔さ。
そんな兄に気づくチョロ松はやはり相棒か。チョロ松が気づいてくれること自体がおそ松を救っているのではないか。



そして物語の後日談。

誰かが実家に帰ってきた。晩ご飯を用意している母はもういないし、兄弟が誰かかしら家にいたあの時とは違う静かな我が家。
階段を上がって、六人で過ごすには今思えば狭すぎたあの部屋に向かう。
襖を開けて部屋に入ると、懐かしい赤いパーカーの後ろ姿があの頃と変わらないクズでバカなニートのまんま、窓辺でタバコをふかしている。
振り返って「おかえり」という彼の姿に途方もない安心感を覚え、ぼくは言う。

「ただいま」

彼がそこに留まり続けることで、僕はまたクリアーに戻れる。また「バカ」になれるんだ。
そのままでいてくれて、ありがとう、兄さん。

セリフは無く、誰の視点かも分かりませんが、読んでいて私が感じたそのままを綴りました。
時が経ち、皆それぞれの道へ進むために家を出た。
変わってしまった静かな我が家で見つけた変わらないおそ松兄さんを見つけた時、私自身が泣きたくなるくらいに切なくなったのです。
彼が留まり続け、その包容力でいつでも迎え入れてくれることで、きっと弟たちはエネルギーを貰えるのでしょう。



この物語は、長男の途方もない自己犠牲のおかげで弟たちが自己を保ち、見つけ、自己実現して巣立っていけることに気づいた三男によって語られる、非常に切なく、そして感動する、到底かなわない最強長男物語でした。
全わたしが泣いた!!!

公式がギャグアニメだからこそ、公式では絶対に語られないこうゆうお話に、出会えて感謝。

いつかはおそ松も働き始めるのだろうけど、弟たちのためにあの家に残って変わらずにバカでい続けてくれるんだろうな。
もう彼を救えるのはトト子ちゃんしかいない!早く救ってあげて!!お願いだからおそ松兄さんと結婚して実家の魚屋継がせて職持たせたげて!そして子ども作って、皆の憧れの幼馴染と結婚して平凡ながらも幸せな家庭作りました〜ってな具合にして、他の兄弟たちの未来線と同じくらいの素晴らしい未来を描いて欲しいものです。そうでなきゃ泣く。
長男で生まれたが故に長男になる。
もし自分が1番最初に産まれる位置にいなかったら、なんて考える必要ない。だって自分は長男として他のどの兄弟よりも先にこの世に産まれたんだから。ただそれだけ。なんて、おそ松兄さんなら考えそうですね。

勢いでガーッと書き上げたので乱文だし、本当はもっと考察を練り上げたかったなあ〜!
でも時間も無いし、こうゆうのはその時の熱が大事とも思うので、拙いながらもこれでアップします。
もし読んでくれた方いたら、ここまで読んで下さったことに感謝します。
そして共感していただけたらもっと感謝です!

『おそ松さん』って本当に受け手に考える余地をたくさん与えて、ファンたちによって余白の物語が紡がれ、受け入れられていってるから、ホント神アニメだね!
だからこんなにもハマる人が続出するんだろうな。
もうすぐ終わっちゃうの残念。
今後も、他のテーマでおそ松さんについて語っていけたらと思います。

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追記

なんとこの神二次創作の作者様、タイプβさんから当記事に対してのコメントをいただきました!
しかし、はてなブログのコメントへの返信の仕方がよく分からなかったので(なにせ初心者)、追記にて返信させていただきます。すみません(汗)

タイプβ様、はじめまして。

まずは勝手にあれこれ解釈したあげく、勝手にブログに載せてしまったことをお許しください。
まさか作者様から直接コメントいただけるとは夢にも思わず非常に驚いております。
そのようにおっしゃってくださり、とても安心しました。有難いです!恐縮です!作者様の表現力が素晴らしいので、きっと言いたいことが伝わりやすかったのだと思います。
本当に、『おそ松さん』という作品が人々に与える創造力、人の輪を広げる力はスゴイですね!!最終回まで全力で楽しみましょう!!
これからもタイプβさんの素敵な作品を楽しみにしています。
わざわざコメントをくださり、本当にありがとうございました!