自己解釈で深く掘り下げたいだけ

好きなもの、ハマっているものについて深く掘り下げていきます

『火の鳥 宇宙編』赤ちゃん+女性=母性

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子どもの頃読んで、強く心を打たれた名作『火の鳥』。

怖い、という感情が強かったですね。
あと、星特有の生物とかが気持ち悪い。
とにかく、また読みたいと思わせる反面、トラウマになった作品でもありました。
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時は経ち、現在アラサーの私が父に頼まれ、
昔発売されたDVD boxをAmazonで取り寄せました。
劇場公開された「鳳凰編」、その後OVA化された「宇宙編」「ヤマト編」が収録されています。
今のところは「鳳凰編」と「宇宙編」を観ました。
 
今回は「宇宙編」について軽く感想を綴りたいと思います。
 

ストーリー(ネタバレあり)

惑星ザルツから資源を大量に積んだ飛行船が地球へ帰還中に事故にあい大破、冷凍冬眠から目覚める4人の船員。
その時に1人で当直していた牧村が「ボクハコロサレル」とメッセージを残しミイラ化して死んでいるのを発見した4人は、それぞれ1人乗り用の緊急脱出ポッドに乗り込み、宇宙へと避難します。
しかしこのポッドは、ただ宇宙空間に漂い、救助されるのをひたすら待つしかないもの。しかも軌道が逸れると1人だけはぐれていき、どうしようもない。また、食糧と酸素が尽きたらそれでジ・エンドという恐怖。人1人が寝れるスペースしかなく、寝そべることしかできないというのもまた恐怖…
4人のポッドの後ろについてくるもう一隻のポッド。実はこれ、死んだはずの牧村が乗っており、彼は「宇宙の生命をないがしろにした」罪のために、流刑星へ送られる途中なんです。
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彼の犯した罪は、ある惑星の住人を自分勝手な理由で皆殺しにしたこと。そこにいた火の鳥がブチ切れて、牧村を、ある程度成長すると赤ん坊に向かって若返りし、若返りが終了するとまた歳をとっていく…ということを繰り返して絶対に死ねない身体にします。
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なので今の牧村は実は赤ちゃんまで戻っており、自分を模したロボットスーツに入り操って生活していたのでした。
 
紅一点のナナを巡り、嫉妬心からかつて牧村を殺そうとした木崎のポッドは宇宙空間へとはぐれ、流刑星への着陸時にポッドの故障で燃え尽きた隊長は死亡。
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生き残ったナナと、物語の全編に渡り輪廻転生を繰り返しての主人公・鼻でかの猿田は、流刑星でそれぞれ火の鳥と出会い、牧村の犯した罪を知り、巻き込まれただけということで地球に返してもらえることに。
 
だけどナナは牧村を深く愛していたため、赤ん坊になった牧村のお世話をしたい、見守りたい、と流刑星に留まることを望む。
実は猿田もひっそりナナに惚れていたため、この機に告白、プロポーズ!牧村は絶対に死なないし、勝手に成長し、また若返る、だがナナはこの寂しい星で年老いていくだけだから共に地球に帰ろう、と説得しますがあっさり断られます。(ナナ、モテすぎ!)
牧村への憎悪から、猿田はナナがいないのを見計らって赤ちゃん牧村を槍で刺し、断崖から海へ投げ捨てます。
しかしそれを火の鳥が見過ごすわけもなく、罰として、猿田の元々でかい鼻はボコボコに醜くなり、子々孫々まで未来永劫その鼻になると言われちゃいます。子孫関係ないのにかわいそう。てか、子ども作らなきゃいい話!?そもそもそんな醜い容貌で女の子捕まえられるかな?
 
そして愛しのナナは、牧村とこの星に残るために自ら望んで気持ち悪い植物に、既にメタモルフォーゼ(変身)していました。
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この星では、その環境の過酷さから、送られてきた囚人たちはこの植物になることを望み、そしてメタモルフォーゼします。そうでないと生きれないからです。
猿田は火の鳥から呪いともいうべき罰を受け、宇宙空間へ飛ばされ、おそらく地球に帰還したと思われます。(原作は忘れたので)
 
…というストーリーなのですが、いや〜、壮大すぎて全然簡潔には説明できませんでした(汗)
 

ナナの母性

私がこの宇宙編で感じたことは様々あるのですが、
特に、ナナが牧村のために醜い植物にメタモルフォーゼし、牧村と共に流刑星で過ごすことを選んだことに心を奪われました。
ナナの選択には「赤ちゃんと母性」が関係していると思います。
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牧村のことを愛していたからといえば納得はしやすいですが、
私は、牧村のその時の姿が赤ん坊だったことも大いに関係があると思いました。
 
ナナは外見は元より、中身も素敵な女性です。
母性本能にも溢れていることでしょう。
そんな彼女が、どうしてこんな寂しい星に赤ちゃんを1人で置いて去ることができるでしょうか。
私だったら無理です。考えただけで胸がギューッて押し潰されそうになりました。
というのも、このOVAを観ている時、横には生まれて4ヶ月の娘が寝転がって遊んでいたからです。
まともな女の人なら、赤ちゃんが目の前にいるのに放ってはおけないでしょう。
守ってあげたい、抱きしめてあげたい、お世話してあげたい、になるはず。
それが、彼女がメタモルフォーゼを選ぶことを後押ししたと思います。誰が何と言おうと、赤ちゃんがすぐ側にいる私はそう思います。
 
そりゃ、牧村は放っといても死なないし、おっぱい飲まなくても勝手に成長していくだろうし、何より星の住民を大虐殺した罪深い男なわけですけどね?
 
愛した男がか弱く可愛いらしい赤ちゃんになっちゃったら、、、ねぇ??
ダブルパンチだよねぇ??
置いて地球に帰れないよねぇ!!?
 
観終わって父親が
「何でこの女の人がメタモルフォーゼする運命だったんだろうね」
と言いました。
私は
「ナナが良い人だったからじゃない?」
と答えました。
 
良い人であり強い人じゃなきゃ、自己犠牲の道なんて選ばないんじゃないかな?
良い人だからこそ辛い運命に会う。
矛盾だよね。
 
「神様は乗り越えられる試練しか与えない」そうです。
ナナにはきっと、この試練を乗り越えられる資質があったのでしょう。
そのように考えてみると、ナナのこの結末にもほんの少しだけ、救われる気がします。
 
でも、、、
 
自分だったら、愛する人のためにメタモルフォーゼしてずっと見守れはしても、その人を抱きしめることも話すこともできないなんて悲しい選択、できるのかなぁ…。
一切の迷いも無かったナナは格好いいです。
でもその格好よさ故にあんなことに…ブツブツ…
…と、ループになるほど深い話でした。
そう簡単に答えを出せないそのテーマがまさに、本物の人生そのままだなと、感じました。
 
でも、子どもがそんな目にあったらその子のためにメタモルフォーゼできる気がする。ナナもこんな気分だったのかもしれない…(この記事を書いて4年後、4歳と1歳の子ども2人を育児中の追記。)
 
原作は、牧村を殺したのは誰かという会話劇でミステリーとしても存分に怖さを楽しめます。
 
怖い!けれど、人間とは、死とは、そして生きるとは何かを考えさせてくれる未完の名作『火の鳥』。
私が小学校低学年の時に読んで、大人になってからもずっと心に残り続けていました。
道徳の教科書に載せてもいいぐらいですよコレは!
現在手塚治虫文庫全集として講談社から出版されているようですので、色んな人に読んで欲しいですね。

 

 

映画『A.I』...最も残酷な愛の呪縛

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一言じゃとても言い尽くせない。
 
当時中学2年か3年だった私。
スティーブン・スピルバーグ監督の泣ける映画として話題でした。
一緒に映画観に行った友達は号泣。でも私は、あんまり感動もしなかったし、泣けもしなかったんですよね。
 
それから13年ほど経って、SF好きの旦那が観たいと言ったのでレンタル屋へ。
 
もう大号泣、、、!!
 
出るわ出るわ涙と鼻水!!
次の日は目がまともに開かないほど腫れてしまいました。
 
ですが私、「感動」して泣いたわけではありません。
 
そのテーマの残酷さに胸が痛いほど締め付けられて、「哀しくて」泣いたのです。
 
「愛」に囚われた悲しいロボットのお話に、人間の身勝手さを強く感じました。
 
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愛をインプットされた為に、哀しい運命を生きるデイビッド。
 
「愛をインプットした人間は、途中で投げ出すことはできない」という条件がありましたが、これって人間同士の親子でも同じですよね。
 
悲しいことに、人間の親子でも捨てたり、虐待してしまったりはありますが、ただデイビットの場合、決定的に人間と違う点があります。
 
デイビッドは、愛をインプットした人間を愛し、そしてその人から愛される、という以外の生き方をできないのです。
彼は、永遠に母の愛を求め続けるだけの存在。
 
…これって、もんのすごく辛い、ですよね?
 
母の愛を得ることでしか救われない。
他の人間と出会い、新たな愛情を育んで自己を肯定していくことができないのです。
 
母がデイビットを森に捨てる場面が1番辛かった。(廃棄処分から逃がすためではあるけど)
 
まぁ母親も、まさか植物状態?になった息子が奇跡的に目覚めるなんて夢にも思ってなかっただろうから同情はするけど、、、
それにせっかく目覚めた最愛の息子がロボットのせいで死にそうになっちゃったら、あの決断もしょうがないかなとは思います。
 
ただ、母親的には、もう1人の息子を捨てるというよりはペットを捨てる感覚に近かったんじゃないでしょうか。
途中で投げ出すことはできないという禁止事項、そんなに簡単に破ってはいけない!デイビットが可哀相すぎる!ともうここは単純に悲しくて号泣!!
 
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観終わって一つの疑問が湧きました。
 
何でこんなにも苦しいのか?
 
それは、デイビットが母に本当には愛してもらえなかったからです。
 
それなのに、気が遠くなるくらいの時間を「母に愛されたい」、ただそれだけの動機で旅をし、願い続けていました。
 
デイビットは
愛を与え、そして求めるロボット。
 
与えるだけではダメだったのでしょうか?
 
人間がそうしたロボットを作り、使用するのは、自分を愛して欲しいからです。
ということは、必ずしも、人間もロボットを愛する必要はなかったのでは??
なぜデイビットも愛されないとダメっていう仕様にしたんだよぉ!バカバカバカ!!
…とロボット作った博士を殴り倒したい気分です。
 
与えるだけの存在であったなら、自分も母の愛情を求めはしなくて、そしたら捨てられてもそんなには気にしなかったはず。
可哀想に、愛して、愛されたい存在として造られてしまったが為にデイビットは彷徨い続けることに。
 
 
「愛」とは、与えるだけでは成立しないものなのではないでしょうか?
(親から子への注がれる無償の愛や、マザーテレサのような奉仕の愛は除きます。)
 
愛し、愛されることでそれは本当の愛情となる。
愛情とは一方が与えているだけでは育たないもの。互いに思い遣りを持ち、相手を大切にしたいと思って育んでいかなければ育たないものなんじゃないかしら??
 
自分が愛した分、その人からも愛されたいのが人間というもの。
デイビットが「愛するだけ」のロボットであるなら、それは他のロボットと何ら大差ないのです。
だからデイビットは姿形だけではなく、心も人間に似せて「愛し、愛されたい」と思うように造られた。
(ただしそこはやはりプログラムですから、猪突猛進な愛情ですね。そこが怖くて引いちゃう要員でもあります。)
 
問題は、両者が相互に愛し合う形にならなければ、その関係は成立させられないということ。
 
デイビットだけが無償の愛を注ぎ続けるのだとしたら、ただの奴隷ロボット、愛玩ロボットですよね。
 
最愛の息子を亡くした博士が心の隙間を埋めるために造ったのですから、持ち主の寂しさを埋めるには、マザーテレサのような万人への愛ではなく、人間と同じような特別な者の間に生まれる、二人だけの愛のシステムが必要なのでしょう。
 
デイビットに
愛されることで充足感を得、
愛を求められることで自分の存在意義を見出せる。
 
さらに言うなら、愛を求めることでロボットはその人間味を増し、このロボットはロボットであり、自分はプログラミングされた愛情を得ているという事実を薄めるのではないでしょうか。
限りなく人間に近い者に相互に愛し愛されることで、喪失感を抱く人間の心は埋められるということか。
 
愛されたいと願うデイビットは果たしてロボットといえるのか?
愛をインプットした相手しか見えない猪突猛進な愛情はまさにロボット故にだけれど、
生物しか持たない最も尊い感情、愛を持つデイビットは、私には人間に思えました。
 
リセットボタンを作らなかったのは、デイビット作者の本物の子どもを生み出したいという想いからなのでしょうが、もしもの時のためにリセットボタンは必要じゃないのかなぁ。
リセットできないのを承知で愛してもらうという強い覚悟だけでなく、破った場合のペナルティを用意すべきでしたね。笑うせえるすまんみたいな、ゾッとするようなペナルティがね。
人間って、本当に弱い生き物だから。
 
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ところで、
デイビットと行動を共にするロボット・ジョーが捕まって連行される時の最後のセリフがとても好きです。
「僕は生きた!」
ロボットとして与えられた男娼の役割ではなく、デイビットを助けるために自分の頭で考え、行動した。
それはまさに「生きる」こと。
彼はきっとスクラップにされ、人間的に言えば死んでしまうのだろうけど、恐れはあってもきっと晴やかな気持ちではあるのではないでしょうか。
 
 
そのジョーと比べてしまうと、果たしてデイビットは「生きた」と言えるのか疑問です。
(人間であるとはいえるけれど)
 
デイビットは自分の役割りから抜け出ていないんですね。
愛し、愛されるという役割から。
デイビットの目的は終始一貫しており、どんな目に逢おうとも決してブレません。
そして気が遠くなるほどの時が経ち、地球が凍りついた遥か未来、宇宙人によって母との再会を果たします。
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何万年も祈り続けてたった1日の母親との時間。
邪魔する人もいなく、心を痛める相手もいない二人は、とても穏やかに、幸せにその1日を過ごします。
そして夜、2人は一緒のベッドで眠りにつき、デイビットもそのまま、二度と目覚めませんでした。
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正直、感動よりも、残酷さに胸がずっと締め付けられて、ボロ泣き。
 
実は母親に同情しました。
髪の毛の遺伝子から復活する前は、普通に幸せな人生を過ごして普通に亡くなったのだと思います。きっと彼女はデイビットを棄てたことを死ぬまで後悔していたんじゃないかしら。なんだかんだ、息子が目覚めるまではデイビットを愛し始めていましたから。
それが、自ら招いた過ちのせいとはいえロボットに蘇らせられ、彼女の記憶の最後に残ったのは夫でも息子でも孫でもなく、ロボット・デイビットなのです。
彼女の立場を思えば、なんともいえない気持ちになりました。
いや、母親は全然嫌がってないし、誰に気兼ねすることもなくデイビットに愛情を持って接し、穏やかな時間を過ごしているので問題ないんですが。
でも、私だったらなんかちょっと、微妙だなと思いますもん。
 
そしてデイビットのあの幸せそうな顔。
なんて切ないの。
やっと夢に見ていた時間を過ごせたのに与えられた時間はたったの1日。
それでも眠りにつくとき、彼は最高に幸福だったと思います。
母の温もりに心から安心している本物の子どもでしたね。
もっと母との時間を過ごさせてあげたい!こんなに一途に待ったのにあんまりだよー!
…と、悲しくて悲しくて…
 
母側視点とデイビット視点からの相反する感情に引き裂かれて、それでグチャグチャ号泣したのだと思います。
(母も幸せな気持ちではあったとは思いますが、観る側からするとなんだか違和感)
 
愛を求めるのも、求められるのも辛いですね。
 
この世で最も悲しい未練は愛だと、昔ある漫画で読んだことがあります。
 
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デイビットという存在は諸刃の剣であり、愛の呪縛の象徴のような存在ではないだろうか、と感じました。
 
だからこその大号泣、、、
 
哀しすぎてもう二度と観ることはないかも。
 
人工知能が発展した世界で描かれるロボットと人間の確執は、いつか必ずやってくる未来だと思います。
 
化学者たちの、作る技術があるなら作ってみたい、という欲望は現実世界でも疑問に思うことが多々ありますが、
デイビットが私たちの世界に生まれた時、こんな悲しいことにならないといいな、と、そう願います。
 
余談ですが、『A.I.』は元々キューブリックが撮る予定だったのを、亡くなってしまったのでスピルバーグが引き継いだそうです。
スピルバーグなので感動系になりましたが、キューブリック監督だったなら、もっとエグい、ゾクッとするような感じになっていたかもしれませんね。それも観てみたいなぁ。