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映画『A.I』...最も残酷な愛の呪縛

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一言じゃとても言い尽くせない。
 
当時中学2年か3年だった私。
スティーブン・スピルバーグ監督の泣ける映画として話題でした。
一緒に映画観に行った友達は号泣。でも私は、あんまり感動もしなかったし、泣けもしなかったんですよね。
 
それから13年ほど経って、SF好きの旦那が観たいと言ったのでレンタル屋へ。
 
もう大号泣、、、!!
 
出るわ出るわ涙と鼻水!!
次の日は目がまともに開かないほど腫れてしまいました。
 
ですが私、「感動」して泣いたわけではありません。
 
そのテーマの残酷さに胸が痛いほど締め付けられて、「哀しくて」泣いたのです。
 
「愛」に囚われた悲しいロボットのお話に、人間の身勝手さを強く感じました。
 
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愛をインプットされた為に、哀しい運命を生きるデイビッド。
 
「愛をインプットした人間は、途中で投げ出すことはできない」という条件がありましたが、これって人間同士の親子でも同じですよね。
 
悲しいことに、人間の親子でも捨てたり、虐待してしまったりはありますが、ただデイビットの場合、決定的に人間と違う点があります。
 
デイビッドは、愛をインプットした人間を愛し、そしてその人から愛される、という以外の生き方をできないのです。
彼は、永遠に母の愛を求め続けるだけの存在。
 
…これって、もんのすごく辛い、ですよね?
 
母の愛を得ることでしか救われない。
他の人間と出会い、新たな愛情を育んで自己を肯定していくことができないのです。
 
母がデイビットを森に捨てる場面が1番辛かった。(廃棄処分から逃がすためではあるけど)
 
まぁ母親も、まさか植物状態?になった息子が奇跡的に目覚めるなんて夢にも思ってなかっただろうから同情はするけど、、、
それにせっかく目覚めた最愛の息子がロボットのせいで死にそうになっちゃったら、あの決断もしょうがないかなとは思います。
 
ただ、母親的には、もう1人の息子を捨てるというよりはペットを捨てる感覚に近かったんじゃないでしょうか。
途中で投げ出すことはできないという禁止事項、そんなに簡単に破ってはいけない!デイビットが可哀相すぎる!ともうここは単純に悲しくて号泣!!
 
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観終わって一つの疑問が湧きました。
 
何でこんなにも苦しいのか?
 
それは、デイビットが母に本当には愛してもらえなかったからです。
 
それなのに、気が遠くなるくらいの時間を「母に愛されたい」、ただそれだけの動機で旅をし、願い続けていました。
 
デイビットは
愛を与え、そして求めるロボット。
 
与えるだけではダメだったのでしょうか?
 
人間がそうしたロボットを作り、使用するのは、自分を愛して欲しいからです。
ということは、必ずしも、人間もロボットを愛する必要はなかったのでは??
なぜデイビットも愛されないとダメっていう仕様にしたんだよぉ!バカバカバカ!!
…とロボット作った博士を殴り倒したい気分です。
 
与えるだけの存在であったなら、自分も母の愛情を求めはしなくて、そしたら捨てられてもそんなには気にしなかったはず。
可哀想に、愛して、愛されたい存在として造られてしまったが為にデイビットは彷徨い続けることに。
 
 
「愛」とは、与えるだけでは成立しないものなのではないでしょうか?
(親から子への注がれる無償の愛や、マザーテレサのような奉仕の愛は除きます。)
 
愛し、愛されることでそれは本当の愛情となる。
愛情とは一方が与えているだけでは育たないもの。互いに思い遣りを持ち、相手を大切にしたいと思って育んでいかなければ育たないものなんじゃないかしら??
 
自分が愛した分、その人からも愛されたいのが人間というもの。
デイビットが「愛するだけ」のロボットであるなら、それは他のロボットと何ら大差ないのです。
だからデイビットは姿形だけではなく、心も人間に似せて「愛し、愛されたい」と思うように造られた。
(ただしそこはやはりプログラムですから、猪突猛進な愛情ですね。そこが怖くて引いちゃう要員でもあります。)
 
問題は、両者が相互に愛し合う形にならなければ、その関係は成立させられないということ。
 
デイビットだけが無償の愛を注ぎ続けるのだとしたら、ただの奴隷ロボット、愛玩ロボットですよね。
 
最愛の息子を亡くした博士が心の隙間を埋めるために造ったのですから、持ち主の寂しさを埋めるには、マザーテレサのような万人への愛ではなく、人間と同じような特別な者の間に生まれる、二人だけの愛のシステムが必要なのでしょう。
 
デイビットに
愛されることで充足感を得、
愛を求められることで自分の存在意義を見出せる。
 
さらに言うなら、愛を求めることでロボットはその人間味を増し、このロボットはロボットであり、自分はプログラミングされた愛情を得ているという事実を薄めるのではないでしょうか。
限りなく人間に近い者に相互に愛し愛されることで、喪失感を抱く人間の心は埋められるということか。
 
愛されたいと願うデイビットは果たしてロボットといえるのか?
愛をインプットした相手しか見えない猪突猛進な愛情はまさにロボット故にだけれど、
生物しか持たない最も尊い感情、愛を持つデイビットは、私には人間に思えました。
 
リセットボタンを作らなかったのは、デイビット作者の本物の子どもを生み出したいという想いからなのでしょうが、もしもの時のためにリセットボタンは必要じゃないのかなぁ。
リセットできないのを承知で愛してもらうという強い覚悟だけでなく、破った場合のペナルティを用意すべきでしたね。笑うせえるすまんみたいな、ゾッとするようなペナルティがね。
人間って、本当に弱い生き物だから。
 
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ところで、
デイビットと行動を共にするロボット・ジョーが捕まって連行される時の最後のセリフがとても好きです。
「僕は生きた!」
ロボットとして与えられた男娼の役割ではなく、デイビットを助けるために自分の頭で考え、行動した。
それはまさに「生きる」こと。
彼はきっとスクラップにされ、人間的に言えば死んでしまうのだろうけど、恐れはあってもきっと晴やかな気持ちではあるのではないでしょうか。
 
 
そのジョーと比べてしまうと、果たしてデイビットは「生きた」と言えるのか疑問です。
(人間であるとはいえるけれど)
 
デイビットは自分の役割りから抜け出ていないんですね。
愛し、愛されるという役割から。
デイビットの目的は終始一貫しており、どんな目に逢おうとも決してブレません。
そして気が遠くなるほどの時が経ち、地球が凍りついた遥か未来、宇宙人によって母との再会を果たします。
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何万年も祈り続けてたった1日の母親との時間。
邪魔する人もいなく、心を痛める相手もいない二人は、とても穏やかに、幸せにその1日を過ごします。
そして夜、2人は一緒のベッドで眠りにつき、デイビットもそのまま、二度と目覚めませんでした。
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正直、感動よりも、残酷さに胸がずっと締め付けられて、ボロ泣き。
 
実は母親に同情しました。
髪の毛の遺伝子から復活する前は、普通に幸せな人生を過ごして普通に亡くなったのだと思います。きっと彼女はデイビットを棄てたことを死ぬまで後悔していたんじゃないかしら。なんだかんだ、息子が目覚めるまではデイビットを愛し始めていましたから。
それが、自ら招いた過ちのせいとはいえロボットに蘇らせられ、彼女の記憶の最後に残ったのは夫でも息子でも孫でもなく、ロボット・デイビットなのです。
彼女の立場を思えば、なんともいえない気持ちになりました。
いや、母親は全然嫌がってないし、誰に気兼ねすることもなくデイビットに愛情を持って接し、穏やかな時間を過ごしているので問題ないんですが。
でも、私だったらなんかちょっと、微妙だなと思いますもん。
 
そしてデイビットのあの幸せそうな顔。
なんて切ないの。
やっと夢に見ていた時間を過ごせたのに与えられた時間はたったの1日。
それでも眠りにつくとき、彼は最高に幸福だったと思います。
母の温もりに心から安心している本物の子どもでしたね。
もっと母との時間を過ごさせてあげたい!こんなに一途に待ったのにあんまりだよー!
…と、悲しくて悲しくて…
 
母側視点とデイビット視点からの相反する感情に引き裂かれて、それでグチャグチャ号泣したのだと思います。
(母も幸せな気持ちではあったとは思いますが、観る側からするとなんだか違和感)
 
愛を求めるのも、求められるのも辛いですね。
 
この世で最も悲しい未練は愛だと、昔ある漫画で読んだことがあります。
 
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デイビットという存在は諸刃の剣であり、愛の呪縛の象徴のような存在ではないだろうか、と感じました。
 
だからこその大号泣、、、
 
哀しすぎてもう二度と観ることはないかも。
 
人工知能が発展した世界で描かれるロボットと人間の確執は、いつか必ずやってくる未来だと思います。
 
化学者たちの、作る技術があるなら作ってみたい、という欲望は現実世界でも疑問に思うことが多々ありますが、
デイビットが私たちの世界に生まれた時、こんな悲しいことにならないといいな、と、そう願います。
 
余談ですが、『A.I.』は元々キューブリックが撮る予定だったのを、亡くなってしまったのでスピルバーグが引き継いだそうです。
スピルバーグなので感動系になりましたが、キューブリック監督だったなら、もっとエグい、ゾクッとするような感じになっていたかもしれませんね。それも観てみたいなぁ。